「京都府京丹後市」桒原 稔さん

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 作 り 手 訪 問 

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作 り 手 訪 問

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「そんなん、オモロないわ。」

 桒原さんと話していて感じたのは、「農業って究極の自由業じゃないかなあ」ということだ。実際は、過酷な自然との戦いであり、きつい労働である農業を、こころから楽しんでいる(関西弁でオモロがっている)ように見えた。自身は都会での生活が長く、小さいころに少し農業体験があっただけの桒原さんだが、この土地の環境に惚れ込んで27年前に移住したという。

「目の前に現れた、

オシャレなログハウス。」

 大阪から車を走らせること、約3時間。一般道から離れて山道をあがっていくと、ほどなく桒原さんの自宅に到着した。このログハウス。あとで聞くと、じつは桒原さんの自作だそうだ。1年以上かけて建てたという。この話からも、桒原さんの生き方が見えてくるのではないだろうか。生憎の空模様なので、車から降りて、さっそく圃場へご案内いただいた。

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自作のログハウスの前で桒原さんと社長の東井。

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農具や資材、焼いた炭などを収納している納屋。

「海の見える棚田。」

 自宅からかなり山の上にあがったところに、桒原さんの圃場がある。7枚の棚田がそうだ。この日は曇り空なのでぼんやりとしか見えないが、彼方には海が見える。日本海だ。海までは約3km。晴れた日の眺めは、それは素晴らしいものだそうだ。前述したように、この環境に惚れ込んで平成2年に、京都からIターンで移住。桒原さんは、この環境を守りたいという強い想いで「無農薬、無肥料」の米作りと向き合っている。

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圃場からは日本海が一望できる。晴れた日はもっと、美しい。

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田植え前の桒原さんの圃場。見た目は美しいが作り手には過酷。それが棚田だ。

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同じく桒原さんの棚田。棚田の良さを生かして、後述する井上さんとともに、稲をつくっている。